陰陽師・安倍晴明とは? 謎だらけの出生からみえてきた人物像

陰陽師・安倍晴明の人物像は、これまでの映像作品などにより現代ではすでに完成されているのではないでしょうか。では、実際の安倍晴明とは? その謎だらけの出生からみえてきた、知られざる人物像をご紹介します。 

 遅咲きの陰陽師・安倍晴明

現在の知名度からは想像できませんが、安倍晴明は遅咲きの陰陽師でした。陰陽師として活躍するようになる40歳前後まで、くわしいことはわかっていません。当時、陰陽師を世襲していたのは加茂家です。安倍晴明もまた、加茂氏から陰陽道を教わっています。 

陰陽道は中国の陰陽五行説が神道・仏教に影響したものです。したがって、中国由来ではあるものの日本独自のものであるととらえたほうがいいでしょう。呪術・占星術だけでなく、天文学についての知識も必要とされます。陰陽師として活躍するまで、安倍晴明は天文得業生という、天文学の学生であったことがわかっています。 

その頃の陰陽師は国家公務員にあたります。定員6人という狭き門です。平安時代には飢饉・疫病が流行りました。それは物の怪によるものだとされていました。その物の怪を”退治”するのが陰陽師です。 

遅咲きではありましたが、陰陽師として活躍、天皇にも実力を認められるまでとなりました。 

京の都を救い出した? 陰陽師・安倍晴明の説話 

陰陽師・安倍晴明の活躍は目覚ましいものがありました。ここでは、現代では陰陽師といえば安倍晴明といわれるまでになった活躍ぶりを取り上げます。 

京の都を干ばつから救い出す

京の都では干ばつになると雨ごいの儀式をおこないました。陰陽師として安倍晴明が雨ごいの儀式をするとたちまち雨が降り出し、京の都が救われたといわれています。 

 祈祷ひとつで一条天皇が回復

平安時代、地位のある人々は病気になるとお祓いをしました。一条天皇が病気になったときお祓いをおこなったのが安倍晴明です。一条天皇は瞬く間に回復。安倍晴明は正五位上に出世しました。 

人間離れした説話の数々は母親が妖狐だったから?

人間離れした陰陽師・安倍晴明の説話の数々……これほどまでに伝説となった陰陽師は、いうまでもなく後世においていません。実は、安倍晴明の母親が妖狐だったから……という言い伝えがあります。 

諸説ある出自ですが、そのひとつとして摂津国、現在の大阪府の産まれだというものがあります。 

葛葉稲荷からの帰り道、安倍保名は白狐を助けてけがをしたところ、葛の葉という女性が屋敷まで送り届けてくれます。葛の葉はよく見舞いにやってきました。やがてふたりは恋仲に……結婚してこどもができました。 

ですが、葛の葉があのときの白狐であり、恩返しのために人里におりてきていたことがわかります。そして葛の葉はこどもに神宝を授けて森へと帰っていきました。このこどもが後の安倍晴明です。 

当時の平均寿命は30歳程度だったといわれています。ですが安倍晴明は現在の平均寿命である80歳まで生きています。それも生涯現役。不死身なんていわれていてもおかしくなかったかもしれませんが、母親が白狐だからであればなるほど……と思うのではないでしょうか。 

まとめ 

陰陽師・安倍晴明を越える陰陽師はいないでしょう。その伝説は数えきれないほどあります。説話になるように母親が白狐なのだとしたら、その人物像も違ってくるでしょう。