これまでは大化の改新、現在では乙巳の変といわれている蘇我入鹿暗殺事件は、古代史のターニングポイントになったといえるほどのできごとでした。この蘇我入鹿暗殺事件は中大兄皇子・中臣鎌足によるものだと知られていますが、黒幕は軽皇子だったのではないかといわれています。中大兄皇子は後の天智天皇、軽皇子は後の孝徳天皇です。今回は、乙巳の変の黒幕が軽皇子だったのか、それぞれの利害関係をまとめながらご説明します。
大化の改新といわれた乙巳の変とは?
現在では大化の改新について、乙巳の変後である646年からはじまった政治改革だととらえられています。これまでそれぞれの地域を地方豪族が支配していた政治体制が変わりました。
そのきっかけとなったのが、これまで大化の改新として知られていた乙巳の変です。中大兄皇子・中臣鎌足によって、最大権力者であった蘇我入鹿が暗殺されました。蘇我入鹿の父親である蝦夷も暗殺を知って自害しています。
暗殺事件は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で起こっています。皇極天皇の目の前で起こりました。儀式の最中、皇子という立場でありながら、中大兄皇子自らが暗殺しました。
その後、即位したのが孝徳天皇(軽皇子)です。皇極天皇の同母弟にあたります。中大兄皇子は天皇に即位せず、皇太子として大化の改新にあたりました。
乙巳の変の利害関係 蘇我入鹿が暗殺されて得なのは誰か
乙巳の変の利害関係を深掘りしていくと、中大兄皇子・中臣鎌足以上に”得”をする人間が浮かび上がってきます。
中大兄皇子・中臣鎌足
実行犯である中大兄皇子・中臣鎌足の目的は、豪族の権力を抑え、天皇中心の政治をおこなうこと。天皇として即位することが目的ではないので、政治的な立場があればいいというスタンツだったといえるでしょう。
皇極天皇
皇極天皇は推古天皇と同じく女性天皇です。また、軽皇子の姉であり、中大兄皇子の母でもあります。皇極天皇は暗殺事件後、自ら譲位しています。これは史上初のこと。以前から譲位したいと思っていたのではないかとみられます。皇極天皇にとって、暗殺事件は譲位のきっかけになりました。
軽皇子
天皇になるためには、父母のいずれかが天皇であること、皇太子であることなどの諸条件を満たしていなければなりません。皇極天皇の同母弟というだけで、軽皇子は即位できるような立場ではなかったのです。それこそ、暗殺事件がなければ、即位の機会は巡ってこなかったでしょう。
新説 利害関係からみえてきた黒幕・軽皇子説
利害関係をみてみると、孝徳天皇として即位した軽皇子が”得”をしたことがわかります。さらに、関係者全員がそれぞれの目的を達成できているのです。このことから、黒幕は軽皇子、それどころか共謀していたのではないかという仮説が成り立ちます。
暗殺事件が儀式の最中におこなわれたのに皇極天皇が黙認していること、さらに暗殺事件の段取りは当時十九歳の中大兄皇子だけでなく軽皇子が根回ししていた可能性があることが根拠としてあげられます。
まとめ
それぞれに目的はありましたが、そのために蘇我氏を滅ぼさなければいけないことには変わりません。そのため、軽皇子を中心として、皇極天皇・中大兄皇子・中臣鎌足などが共謀したのかもしれません。