信長の残虐さの象徴として語られる「比叡山焼き討ち」事件。実は滋賀県教育委員会がいくつか行った調査によると、これまで言われていたように比叡山の全山が派手に焼き尽くされたかどうかは今後の調査が必要でよく分かっていないとのこと。同教育委員会は、「延暦寺の象徴的な建物である根本中堂を始めとする主要な堂舎が焼かれたことは間違いはなく、また(比叡山の門前町にある)坂本の里坊(山寺の僧侶が人里に構える住まい)に対して集中的に攻撃は行われた。しかしながら、これまでのところ延暦寺境内からは大規模な火災の跡が見つかっていない。」としている。このことから、神聖な比叡山の一部施設・僧侶への攻撃そのものが当時の京に与えた心理的インパクトはとても大きく、それゆえに話が尾ひれがついた可能性があると思われる。