番外編 一口メモ 本能寺の変の現場に明智光秀はいなかった?!

新年早々、驚きの記事が出てきた

「織田信長が配下の明智光秀に討たれた本能寺の変(1582年)を巡り、光秀が本能寺(京都市中京区)の現場に居合わせていなかったとする学説が出てきた。金沢市に現存する古文書に、光秀は本能寺から8キロ離れた鳥羽(京都市南部)に控えていたとの家臣の証言があることが富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)の調査で4日までに判明した。」日経新聞より

明智光秀公(Wikipediaより)

しかし、当サイトではこの説に懐疑的である。
それは、1 そもそもこれだけの重要な場面に最高司令官が不在とはあり得るのか。
    2 この記録は本能寺の変から87年後に書かれたものである。満州事変の状況を現時点(2021年)に記録するようなものだ。
    3 まさに一世一代の大勝負で特に家臣の裏切りの可能性も高い中、最高司令が不在だとさらにその確率が高まる。
などの理由による。

真偽の程はもちろん分からないが、みなさんはどうお考えか。